おるがにすと・クロニクル Chronicle of an Organist

momokokubu.exblog.jp
ブログトップ

<   2011年 04月 ( 5 )   > この月の画像一覧

復活祭 | Easter

035.gifIn English below035.gif

教会オルガニストの一番充実した季節、復活祭に向かう、受難節の最後の2週間を過ごしました。

「充実している」というのは、受難節に入ると、十字架に向かうキリストの、2000年前のことなのに相も変わらず辛く身につまされるような、とても意味深な聖書の話に合わせた歌や曲ばかり練習、演奏する6週間が続くので、その最後の2週間はもうじわじわと頭も体もまいってしまう中、「そういう中でしかたどりつけない心理」で演奏をすることができて、まことに得難い体験だからです。

ことしは鎮魂の気持ちの表現として、家族としては6週間「夕ご飯お肉抜き」をしました。
「どこが鎮魂なのか?!」は多分に感情的なのであまり追求しないようにしているのですが、要するに、殺生をしない、ベジタリアン生活です。娘が育ち盛りなので昼ごはんのお弁当には肉をつかったのでほんとうに「気分だけ」です。

お肉を食べずに、夜おなかをあんまり膨らませずに生活すると早起きになるのかもしれません。
何故か5時半とか6時15分とかに目が覚める毎日でした。
東京で7月にいただいたコンサートをする機会を受けるべきなのか迷い、迷いながら考えに考えるのに早起きは便利でした。周りに音がしないからです。そして行くことに決定しました。

日が昇れば、1日の間に何度も教会に行ったり、合唱の練習をしたり、オルガンの練習をしたり、「死と眠り」の調である「バッハとハ短調」の新しいCDのハコ作りをしたりしながら、1日2回ずつ日本のニュースを読みました。トゥイッターなどの仲間も増えたので、自分が読みたいようなニュースが簡単に上手く検索できるようになり、おどろいたり心が痛んだり、ずっと心が繋がり続けることができました。

周辺の姉妹教会の合同ミサの当番だった自分の教会では、聖週間のミサは、火曜日、水曜日、木曜日、金曜日、土曜日…と毎日特徴のある、典礼も音楽も充実したものが企画準備されていたため、ほとんど内容過密で、かかわる人々の人数も人種も文化も違う中「それぞれの与えられた範囲の中で自分を生かしながら」なんとか同じひとつのスタイルで一緒に行えたと思います。

当日の準備をして、本番(ミサの本番というのも変ですが)では予定外の状況も臨機応変で対応し、終了して、帰宅、反省、(ぐちも出ます)…を火曜から日曜まで毎日くりかえしやったので、まるで合宿のようだったというか、今こうして無事にイースターも終わり、コンピューターの前にすわって文章をゆっくり書いていると「老後」のような気分になります。

それで老後的発言なのですが…
オルガンを始めてもうすぐ30年。ことし初めて、「良い聖週間だった。」と、自分の仕事の部分を振り返って思えたということは、「石の上にも30年。」と、素直に「30年という時間」に感謝する気持ちです。

音楽や鍵盤楽器やバッハの作品と離ればなれになりたくないばっかりに、オルガンを弾きつづけてきました。キリスト教の信仰については、大好きな国立のぞみ教会(固有名詞を出してしまいました)で育ったことと、ローラ・インガルスの影響がいまだにあって、どうして信じるのか、それから「どうやって神を信じるのか」、信じない人と信じる人のチョイスがあるのなら、こういうとき自分は信じる人として「なんと思うのか」、考え方のベースになり続けて来ました。

そのふたつの体験が、自分の場合、聖週間で本番という感じで「試される」気がします。関わる者みんなにとって、肉体的にも大仕事なので、その中で必然的に人とぶつかるとき、「どうやって」うまくぶつかるのか。また、何があっても「最上のこころで」弾かなければならないということ。考えすぎたらできないことなので、「ああ。嫌な気持ちも弾いてるうちに忘れて来たな。」と思えるように、力を抜いて、からだをうごかしつづけました。

今年は、日本のニュース、地震のこと、原発のこと、いろんなことが同時進行して、「見えていなかったものを見せられた」ために、勉強が激しくなるとつい選んでしまう「音楽バカ」方面にこもりようもなく、わたしもわたしの周囲の人間もみなある種「おとなにならされる」聖週間でした。

「この辛さを忘れる」ということが不可能なたぐいの、巨大な命と愛の損失の前に、「忘れないでいる」以外に方法がないのだ、と受け止め、そこから再出発できる道を探す手伝いをしたい。
「音楽家」に固執せずに、「ただのにんげん」として、いろいろな縁のあることがらに積極的に関わって行きたい、と思う反面、

今年もイースターの日は来たのだ。
春も過ぎ、もうすぐ初夏なのだ。
バラのつぼみもあんなに枯れ枯れだった枝にびっしりついている。
生きていること、生かされていることは楽しく、楽なこと。
悲しみをかんじるとしても、それは生きているからなんだ。

と、胸いっぱいに深呼吸して、
かなしみも大事に持ったまま
あたまをからっぽにして
のっぱらにばたんと倒れて空を見ている時のような
ただのバカ人間なよろこびにひたりたい。

とも、思います。
あれ?これは詩編にでてくるひつじの気持ちですね。

こひつじたちはこの春もじゃんじゃん生まれ、ぴょんぴょん跳んで生きる喜びを謳歌していた。
そんな楽園にわたしも生きている。



にほんブログ村 クラシックブログ 鍵盤楽器へ
にほんブログ村

にほんブログ村 海外生活ブログ ベルギー情報へ
にほんブログ村

にほんブログ村 音楽ブログ 音楽活動へ
にほんブログ村



035.gif

Having spent the last two weeks before Easter in the church where we had many masses, I am glad to say that for the first time I fell filled with a kind of gratitude and satisfaction about my part took among the partners in the church.

Because of the entreme gravity of the texts of the Passion, even after two thousand years, we are lead to a special state of mind at the end of the six weeks of passion tide. We have been singing chants and hymns, and playing works tightly related to the subject.

The Holy Week with the masses every day, finally reaching the night of Easter was a kind of untieing a huge knot. Playing the organ day by day in the whole process was a unique experience.

We ate no meat during the six weeks to remember the loss, without knowing nither looking for what exactly it meant. Simply, that made me wake up at 5:30 or 6:15, the hour normally I am never awake! A stomach not too full the evening makes this effect?

I was given those serene early mornings to consider the decisions that I had a difficulty to make. No noise, the white silence of the morning, gradually wakening with the bird songs (even in the city!) helped me a lot to go to the conclusion. I am going to Japan this summer!

The post-Easter days make me feel a little "senior", sitting in front of the computer.
I am not yet 65 years old but then how come I am looking back my past...?

The days that I loved going to our Kunitachi Nozomi church in my childhood, and the Laura Ingalls books that I was impressed by, both made the bases of my faith.

And the organ playing I hanged on, so that I am not separated from Bach and other music.

The Holy Week was a kind of a "test" where I had to put all my resources from those two ploles of my life into it.

We got some crashes and disputes as usual, as there are so much details to sort out. Even after hours of discussion, there are non-spoken bits that come out last minute, often during the mass itself.

For the first time, I repeat, this year, I can say (as long as my point of view) that we did all what we could in our church.

Maybe because it has been almost thirty years since I am organist that I got used to it.
Maybe the situation of this year made me become different.

After the conflict in the church before playing, I would anyway have to be in the best state of myself.

Just be freed.

During playing, and thanks to the act of playing itself, my body was "defrosted" of whatever made it tense in the beginning.

I hope to become more than just a good musician, now a days.
Problem is, I don't know how to.
Now I could give more hands to the proposed projects which are not necessary musical?
Why not, the time to think music-egoist is gone.
There are more than music, there are other things than what I must do inside the little box concerning only music notes.

Besides.
The Easter came and we go towards the summer.
The envy is also to go and lay down in the grass, looking up just the sky and feel happy.
Keeping sadness in mind but lay there, all simply.

Given life here is meant to be free and easy, isn't it basicly true?

Like the sheep in the Psaumes.
The lambs were born again in the fields.
They were jumping around, simply happy to live.

And I realise that I live in the same paradise.



035.gif
[PR]
by momoyokokubu | 2011-04-28 20:35 | 鍵盤楽器

さくら | Cherry blossums

035.gifIn English below035.gif

e0203829_2254625.jpg

e0203829_22543679.jpg


最高裁判所を背景に5本の八重桜が咲いた。

Five cherry trees blossuming at the foot of the Justice Palace.

白い5つの花弁。
さくらんぼがなるのはいつだろう。

The small white cherry blossums in waiting for their fruits.

e0203829_22545359.jpg


小さなアネモネの大きな瞳。

Small anemones and their big eyes.

e0203829_22551184.jpg


e0203829_22552820.jpg


e0203829_22554448.jpg




東日本大震災からひと月。

復興に向けて、少しずつ事態が改善されていくことを、そのために地方も国も世界も心を合わせられることを、改めて祈ります。

でもなにより、うしなわれた大切な人たちの魂が安らかでありますように祈りたい。

明日は夕方6時からブリュッセルの聖ミシェル・グデュル大聖堂で日本の震災被災者の方たちに寄せる祈りのための特別ミサがあるので、わたしもデュルフレの「アランの名によるフーガ」などを弾かせてもらいます。

来週は棕櫚の日曜日、そして受難週、そして復活祭。

Today, one month since the earthquake in Tohoku.

I pray for the recovering and restauration of the area, and also for the way the affected cities, prefectures, national politics and international help could work in the optimal coordination.

And I pray for, above all, the precious souls lost, to rest in peace.

Tomorrow, there will be a special mass at the St Michel and Ste Gudule Cathedral of Brussels at 6:00 pm, for the victims of this catastrophe. I will also take part in, playing the Fugue sur le nom d'Alain of Maurice Duruflé.

Next Sunday is the Palm Sunday, then we will be in the Passion Week; and Easter comes.


にほんブログ村 クラシックブログ 鍵盤楽器へ
にほんブログ村

にほんブログ村 海外生活ブログ ベルギー情報へ
にほんブログ村

にほんブログ村 音楽ブログ 音楽活動へ
にほんブログ村



035.gif

035.gif
[PR]
by momoyokokubu | 2011-04-10 23:09 | 鍵盤楽器

必要物資・支援要求マップ


必要物資・支援要求マップ 311HELP.com
必要物資・支援要求マップ


何か支援をできたら…
と思っていたらこんなサイトが立ち上がっていた。
インターネットのお陰でベルギーからもこんな細部のことでも支援できるなんて。
すごい。
運営している現地の人たちだって被災しているであろうに。
友達に声かけて、一緒に小包を用意して送ることにします。

にほんブログ村 クラシックブログ 鍵盤楽器へ
にほんブログ村

にほんブログ村 海外生活ブログ ベルギー情報へ
にほんブログ村

にほんブログ村 音楽ブログ 音楽活動へ
にほんブログ村


035.gif

035.gif
[PR]
by momoyokokubu | 2011-04-10 05:10 | 鍵盤楽器

つながっていること

035.gifIn English below035.gif

合唱団ポリフォニアが指揮のドゥニ・ムニエール氏と月曜日コンサートで演奏。
合唱があるとお客さんが2割方増えます。

e0203829_1459626.jpg

(またおそろしくぼけてます。でもこれしかない。あえて載せます。すみません)


プログラムは最初にオルランド・ラッススOrlandus Lassusの無伴奏ミサ。
次にオルガンでヴィエルヌVierne、オルガン連弾でフォーレFauréの子守唄とシシリエンヌ。
最後にデュルフレDurufléのピエ・イェズとイン・パラディズム(オルガンと合唱)。

e0203829_14573058.jpg



終わった後、オルガン台から駆け下りて、合唱の人と一緒にお辞儀をしていたら、指揮のドゥニさんが

「募金箱のこと言えば。言うと違うから。」

と言う。自分で弾いた演奏会の後で(別人格になって)企画アピールするのが下手なので躊躇したけれど、みんなが席を立たずに待っていてくれているようだったので、急いで青い(巨大)募金箱を受付から取って来てかかげながら、

「きょうは寄せ書きと募金、『Ganbaré Nippon』第3弾の日です。みなさんの寄せ書き、どんどん日本語に訳していってますから気軽に何語でもいいから書いて下さいね!」

と呼びかけ。

そしたらドゥニ氏が引き継いで、

「本日のプログラムは、3月11日以来話し合って少し変更し、最後にデュルフレのレクイエムから2曲を抜粋して演奏しました。地震、津波で命を失われたすべての方たちの冥福を祈ります。」

と締めくくりました。

写真左端のソプラノの方は、今回のために急遽ピエ・イェズを勉強し、ソロで歌ってくれましたが、この合唱団はみな本職は音楽ではありません。長めに昼休みを取る工夫をしてみなさん集まってくれました。全体の半分ぐらいの団員が来てくれたようです。

演奏会衣装を着替えてから、オフィスの仕事に戻る前に、お財布を握りしめて戻って来て、募金箱にお金を入れて行ったり、寄せ書きに書き込んだりしてくれた団員の人もいました。

受付の人に聞いたら、「ちゃんとアナウンスしたから、たくさん募金してもらったよ。」ということでした。それに第3弾になったので、お金を準備して持って来てくれた人もいたはず。

最初は募金と言っても、「無料だから」来る人も多い昼の月曜コンサートでは、「気休め」程度の集金にしかならないかな。と思ったし、「やる意義」とか「意味」がいまいち不明でも、「何かしたい自分たちの気持ちのために」計画をして来ました。


被害を概算したものが計算で出て来ていますが、義援金をいくら集めても足りない、とがっくり来るような額です。とにかく、最初はショックが大きくて、「せめて義援金を。」そして「お金なら何かの役に立たせることができる。」という、

役に立ちたい
なにかしたい

の3週間だったと思います(自分の場合)。



しかし今回のことは「地震や津波が滅多に来ない、というかほぼ皆無なベルギー」に住んでいても、原発の問題が深く関わっているために、


地震と津波=自然の起こしたこと

原発の開発と巨大電力の消費=人がやっていること
=原発事故=人災
=地震と津波も、いろいろ開発しすぎたために地球が崩壊しつつある結果なのではないか(因果関係の科学的根拠は無いが、感情的にはそう結びついてしまう)


というふうに、「自分も今回の災害に加担しているもののひとりである感」がどんどん強まっています。近年では京都条約を引き合いに出すまでもなく「エコロジカルな生活」について、どこでもキャンペーンを張っている。ベルギーはなかなか首相を決められない苦しい(というか見苦しいというか)政界の状況になっていますが、論点は何であるにしても、「政党」ごとに戦う、というクラシックなやり方ではうまくいかないんだ、ということにうすうす皆気づき始めている。各政党がそれぞれ確立し、連立することで安定するという図式ではもうない。どの政党も「地球」に住み続けたかったら、「エコロジカル」でない政策=「必要以上の贅沢が出来る生活を維持する」政策を掲げることが出来ないところに来ている。

だから「エコ党」に投票すればいい、エコ党の首長が首相になればいいという簡単なことではない。

そして、原発の問題。
みんなの問題。

原発にはいろいろ特典がいっぱいあるから、これは得するぞ、と説得されてしまうようになっているし、「すでに」「いつの間にか」起動してしているものを止められないような気分にさせられる。第一、「経済基盤」なんだ。エコだろうがなかろうが、いまの暮らしのなかで、選択の余地はないような気がさせられる。
(個人的にはいつだって原発反対だけれどかわりにどうするのかが言えない)

ところが日本で「あり得ない」事故になった。
「あの、技術、信用に世界的定評のある日本で?!」

と、

日本人のわたしですら、

思いました。


被災者を思うばかりで「何も出来ないけれど何かしたい」気持ちだったのが、

「ちょっと…あたしたちはどうするの?これでいいと思ってんの?」

に移行して来た。



東京で弾かせてもらった演奏会のきらびやかなホ−ルの様子。
オルガンの配風はもとより、オルガンの建造だって、照明だって、チケット販売だって、
全部東電が電力配給してるからこそ可能だった訳だ。
電車だって車だって、わたしは使ったじゃないか。

東京のための原発が福島などでちょっとずつ現地の人たちの環境を蝕んでいることなど気もつかずに。

飛行機だって何度も乗ったじゃないか。

1985年の日本に於ける年間電力総量を見たら、2010年の「原発以外の発電の総量」でまかなえる量であった。
1985年にすでに原発は発電していたから、現在の日本では火力、太陽熱、風力、波力発電その他の総量も増えたということであろう。
当時だって夏はクーラーがんがんだったし、中央線はピークアワーには3分ごとに走っていた、「ちゃんと便利な生活」だったのに、いったいいつの間に「ここまで」電気に甘やかされるようになったか。インターネットとか携帯電話。オートロック。トイレすら電動。気がついたら、なにもかも?!電気を湯水のように使わせてくれる原発。(電力なしでは湯も水も出ないことが今回身を以てわかったけれど。)

事情の詳細は異なるとはいえ、ヨーロッパだってその「電力依存麻痺感覚」は同じ。

わかってはいるが。
だからどうした…

と、押しやっていた問題が、いきなり鼻の先に突きつけられて来たため、「これでいいのか電力依存。」が、今や生活の「第一主題」にのし上がったと言っても過言ではない事態なのではないか、と今週は感じています。

うちのちいさい家の中ですら、電気に対する態度が全く変わった。
それも「お金を節約するため」ではない。

「第一、電気のメーターってどうしてすぐに見にいけないところに取り付けてあるわけ。消費感覚が麻痺するようになってんじゃないの。」

腹を立てたこともないことに腹を立てるようになる。
そんなことに腹を立てたことがないという現実にも腹が立つ。

ベルギーで節電したら被災者にとどくというようなことはあり得ないが、そうせざるを得ないメンタリティーに頭のねじが巻かれてしまったということは、もう日本での今回の災害は「自分たちの犯したミス」でもあるというような(短絡的に言えば)ところに、気持ちが行っている。

こんな被害を目の当たりにすることなくしては「真面目に取り組むことができなかったということの後悔」もたっぷりあります。政治というのは、うまくいかないときに「わたしのせいじゃない」という感じを上手に与えてくれる便利なものですが、この災害の巨大な苦しみからは「自分のせいでもある」という実感だけが生々しく心に焼き付けられた。つながっているからこそ。それだけはしっかり直視していきたいと思う。
























にほんブログ村 クラシックブログ 鍵盤楽器へ
にほんブログ村

にほんブログ村 海外生活ブログ ベルギー情報へ
にほんブログ村

にほんブログ村 音楽ブログ 音楽活動へ
にほんブログ村



035.gif

035.gif
[PR]
by momoyokokubu | 2011-04-06 16:30 | クラシック音楽

オルガンを「漕ぐ」| "row" an organ

035.gifIn English below035.gif

e0203829_1144597.jpg


月曜日オルガンランチタイムコンサートで、「寄せ書き」を提案した、本田雅子さんは、ベルギーのアントワープ在住のオルガニストです。先週は私が両手が怒りに震えながらなんとか演奏しましたが、今週は本田さんが、今年生誕150周年にあたるエンリコ・ボッシというイタリアのロマン派時代の作曲家の知られざるレパートリーを演奏して下さり、わたしと樋笠理絵子さんのふたりで、怒濤のアシスタントを務めさせてもらいました。

45分のリサイタルは樋笠さんが3月初めに演奏したヴィドールに勝るとも劣らない、変化に富んだレジストレーションだったので、ここにうまくその音色の楽しさを表現出来ないのが残念です。お客さんもとても楽しかったことと思います。

このプログラムを本田さんが選択した当初には、冒頭が華やかなファンファーレ風で、明るい始まりという予定だったのだと思いますが、こうして『東日本大震災の寄せ書きと募金・第2弾コンサート』という形で演奏することになり、阪神大震災時に神戸在住であった本田さんの胸の中はどのようなものだったか推し量ることもできませんが、彼女はいつものように、言葉少なに「大変ですぅ〜」と言いながら、本当にがっちりと演奏して下さいました。

楽しい曲も入った、予定通りのプログラムをあえて、本田さんが魂を込めてしっかり弾いたことで、本当に聴くものの心を打つコンサートになったと思います。この日のように、一曲も聴いたことがない、というようなプログラムの時は、終わったとき少し遠慮がちに拍手が始まることが多いのですが、ボッシの変奏曲の最後のフーガがババーン!と終わったとき、拍手がぱあーっと湧いて、アシスタントに汗を流したわたしと理絵子さんもやんやの拍手に加わっていました。自分たちが弾いた訳でもないのに、アシスタントも一緒に、何か同じ乗り物を一緒に漕いで、乗り切ったような気分でした。オルガンを、漕いで、なにかをどこかに届けたというような。

e0203829_1123649.jpg


写真は、はじめの2枚は先週のもの。1枚目の写真で手前左右に銀色に見えるのはオルガンのパイプです。演奏台から先週のアシ(夫)が撮りました。
(リュックポジティフはうちはフェイクだけど)
2枚目ではターコイズブルーの募金箱の横で、みんなが寄せ書きをしているところです。
(この日撮った写真はすべてブレていた。なんでだ。)

本田雅子さん。Masako Honda
e0203829_1122367.jpg


「本日のスタッフ」に囲まれた本田さんと、ロレ・オルガンの演奏台。
Masako and assistants at the console.
オルガン、「本日もご苦労様」。
e0203829_184160.jpg




にほんブログ村 クラシックブログ 鍵盤楽器へ
にほんブログ村

にほんブログ村 海外生活ブログ ベルギー情報へ
にほんブログ村

にほんブログ村 音楽ブログ 音楽活動へ
にほんブログ村



035.gif

Masako Honda has made the good proposition of Yosegaki for Japan at the Lundi d'Orgue concert for five weeks of this Spring.
Yosegaki is a Japanese tradition of collecting the words of encouragement and the signatures for a specific occasion.
Masako is an organist living in Antwerp and she played the concert of last Monday with all-Enrico Bossi program to celebrate the 150 years of his birth.
Last week, I was at the organ with my two arms heavy with anger affected by the catastrof in my country, this week I was at the side of Masako to do the assistant, together with Rieko Higasa, our organ scholar.

The registration was as elaborated as
the Widor played by Rieko in the beginning of March, the assitants had a good work to accomplish.
But the result was beautiful contrast of sounds and colourful changes.
Hard to describe but the audiences must have enjoyed it.

Starting with a great fanfare movement, the initial idea of cheerful beginning, must have been hard to carry now that the concert is dedicated to the thoughts for Japan.
Especially Masako herself was in Kobe when they had the also huge earthquake of Kansai, 16 years ago, and she knows what is like. But she proceded calmly and firmly as usual, just telling us " It IS hard.", and played a great concert.

She did well not to exchange the fun pieces against anything else, but just to play them in convincing way. We heard that she really put her soul in it, and when the last bars of the big fugue ended with full chords, the applause rose at once, which is unusual at the end of such unknown compositions. We, the assistants bursted in clapping with them as well, full of joy on our faces. I actually felt as if I was rowing a kind of boat, the boat of music, with Masako and Rieko. The organ was the boat, to carry something to somewhere.

The first two photos are taken last week.
The very first one is the view from the organ loft, and we can see organ (fake) pipes on the two sides of its frame.
In the second photo, they are signing the Yosegaki in front of the big blue charity box.
(All the photos taken last week were unfocused. Why?)

After the photo of Masako, we sat together for a souvenir, and I said in my heart:
"Well done again and thank you, Loret Organ".





035.gif
[PR]
by momoyokokubu | 2011-04-02 01:48 | 鍵盤楽器