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おるがにすと・クロニクル Chronicle of an Organist

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4/15予習編その5(最終回)

4月15日の演奏会の後半の作品はバッハ以外の作曲家の作品です。
前半は私が弾きますが、ここからはグザヴィエが弾きます。


まず5曲目。バッハがいいなあ〜とあこがれていた、ディートリッヒ・ブクステフーデのトッカータニ短調です。ブクステフーデさんは、そういう名前の街がデンマークにあり、ドイツの北の国境に近いため、ドイツはリュベックのオルガニストでしたが、ご先祖はスカンジナビアの人だということが言われています。

かたや、中央ドイツ、アルンシュタットのオルガニストだった20歳のバッハさんは、なんと

「修行のため、リュベックにブクステフーデ大先生の即興演奏を聴きに行って参ります。つきましては、徒歩で行きますんで4週間の休暇を下さい」

と教会に言い残して出掛け、4週間どころか3ヶ月の間、メールも携帯メッセージも送らずに、何の音沙汰もないまま帰って来なかった!というのですから、無責任じゃあありませんか。

と、いうのはもちろん冗談ですが、教会から随分叱られてしまったらしいです。ちょうどいい機会とばかりに、「いつもわけのわからない和音をつけて伴奏をするのも良くない」し、「どこの馬の骨ともわからない女性を合唱で歌わせた」などと批判されて、片道400キロの徒歩旅行からやっと帰ったと思ったら、ふんだりけったり、の目にあったバッハ。

実はこの歌わせた女性が、後の奥さんになるマリア・バルバラだったということや、リュベックでは素晴らしい即興を堪能して、ブクステフーデ大先生にもお目見えする機会を得て、演奏を聴いてもらってすっかり気に入られ、彼の後継者になることを持ちかけられたのに、その条件が「自分の娘と結婚すること」だったことが(バッハより10歳年上の女性)ネックになったのか、そのまま帰って来た…など、…

300年後にウィキペディアなどというものによってそんなプライベートな話を世界中に吹聴されるなどということを20歳のバッハが知っていたら、一体どういう気持ちになったでしょうか015.gif

そんな逸話のある大ブクステフーデのトッカータ、昨日のバッハのトッカータの記事で触れたように、自由な部分とかっちりした部分が互い違いに出て来る即興の様式で書かれ、

「あれ?この出だし、バッハもこの作品の影響受けてるんだなあ〜」

とピンと来るような部分もあります。

続いて6曲目はロマン派の作曲家、メンデルスゾーンのオルガンソナタ第6番。フェリックス・メンデルスゾーンは、裕福なユダヤ人家庭に生まれましたが、ドイツの文化により溶け込んで音楽のキャリアを積めるように、メンデルスゾーン父の決断でユダヤ教から改宗し、キリスト教徒としての教育を受けました。プロテスタントの賛美歌の「主の祈り」をテーマに繰り広げられる、ヴァリエーション形式の作品です。メンデルスゾーンは、お姉さんのファニーさんと共に、おそろしく音楽の才能が幼少から顕著だったらしく、14歳のクリスマスプレゼントに、おばあさんから、バッハの「マタイ受難曲」の総スコア楽譜をもらったというから驚きです。

この「マタイ」は、ものすごく長い、合唱ふたつ、オーケストラふたつが、イエスの受難を「マタイの福音書」の視点で物語る「巨大カンタータ」というようなドラマチックな作品で、楽譜の量は半端じゃないのですが、もちろんスキャンしてコピーするだけで何時間もかかっちゃったはずです。というのは冗談で、なんと手書きの写しだったらしいです(と、いうか、もちろんそうするほかにはないのでした)。

そんなものを手に入れたおばあちゃんはすごい。いや、可愛い孫のフェリックスのためならなんでもするという、祖母の溺愛はいつの時代も変わらず、というところでしょうか。

と、いうわけで、メンデルスゾーンは若い頃からバッハの「マスターピース」に親しみ、1829年3月11日、20歳の時にベルリンでマタイ受難曲の「公開演奏会」を自らの指揮で行ったのですが(1000人聴きに来たというからすごい)、バッハの死後、みんなから忘れられていた「マタイ」の、初めての再演だったそうです。既に楽器がバッハ当時とは違っていて違う楽器で代わりに演奏したパートがあったり、長過ぎるので割愛して縮めたりしたらしいです。こうしてバッハ復興の幕は切って落とされたのでした。

さきほどのバッハの徒歩旅行といい、20歳の天才の方々、ほんとに何をやりだすかわかりませんね。

メンデルスゾーン君によって始まったバッハ復興は、19世紀にはベルギーのレメンス先生、20世紀フランス初頭にはヴィドール先生によって引き継がれ、これまた天才オルガン即興家で作曲家だったマルセル・デュプレによって、ゆるぎのない「オルガニストのバッハ信仰」(特にフランス語圏)を確立するに至りました。


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デュプレは「エンサイクロペディア」を編集するような熱意を持ってバッハのオルガン作品全てと取り組み、そのひとつひとつに「正しい」指使いとペダルの足記号(かかととつま先のどちらを使うかという表示で、○がかかと、⋀がつま先の印。私はドイツ式で、かかとは∪マークを使っていますが)を書き入れ、演奏上の注意も指示したバッハのオルガン作品全集を出版しました。

バッハの賛美歌=コラール前奏曲を模倣して、デュプレも前出のアルンシュタットの教会の人が聴いたらそれこそ卒倒しそうな現代的な和声付けの「コラール前奏曲集」も残しましたが、彼の真骨頂はやはり自由な様式の作品。

1931年2月13日、ベルギーの王立音楽院で行われた「十字架の道」演奏会は、詩人ポール・クローデルの詩に、当時45歳のデュプレが即興でオルガンをつけて行くという形式で行われました。カトリック教会に行くと、左右の壁に、十字架に向かうイエスの14の場面の絵が架かっていることが多くあります。あれを、詩と、音楽で表現したもので、全部演奏するとオルガンの部分だけで軽く一時間を超えるのですから、詩の朗読を入れたら一体どのぐらい時間がかかったことでしょうか。それを、デュプレは家に戻ってから、記憶と録音をたよりに、譜面におこして、発行したのですから、本当に素晴らしく働き者です。でも、この写真でもわかるように、アメリカを中心に世界中を回って、2000回のオルガンコンサートを弾いた、という人ですから、現代から見てもなかなかこれほどの働き者オルガニストはめったにいないでしょう。

前置きが長くなりましたが、7曲目に、このデュプレの長大な「十字架の道」から3曲抜粋で、「20世紀のフランス式即興」の世界に触れていただき、8曲目に、現代の即興演奏家でもある夫のグザヴィエが復活のグレゴリオ聖歌、「Victimae Paschali Laudes」のメロディーに乗せて即興して演奏会をしめくくります。先ほど、メンデルスゾーンとバッハの20歳の冒険に触れましたが、「十字架の道」を即興したデュプレが45歳ならグザヴィエも今45歳です。

これは全くの偶然ですが、即興の出来る夫にすら(わたしは演奏会レベルでは出来ません)、

「即興は即興では出来ない」

ということらしいので、武蔵野の演奏会は「45歳の冒険」ということで、頑張ってもらいたいと思います。

長い文章をさいごまで読んで下さって有り難うございました!

15日に武蔵野市民文化会館でお会いしましょう!!


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本日のまとめ

武蔵野のコンサートの後半の曲は、

ディートリッヒ・ブクステフーデ/トッカータニ短調BuxWV155
フェリックス・メンデルスゾーン/オルガン・ソナタ第6番二短調op65
マルセル・デュプレ/「十字架の道」op29より第2、11、12留
グザヴィエ・ドゥプレ/「Victimae Paschali Laudes」による即興


です。

本日の聴いとこう

バッハ/マタイ受難曲
(ここに書いておいて何ですが、15日の演奏会の前までに全部聴くのは長くて無理かと思いますので、演奏会のあとにでも、聴いたことのない方はいつか全曲聴いてみて下さい)
・その1:バッハの譜面通りのオリジナル・ヴァージョン(いろいろな録音があります)
・その2:メンデルスゾーンが演奏したときのヴァージョン(私の知っている限りではロジャー・ノーリントンがメンデルスゾーンのメモなどから再構築したものが録音されています)
























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by momoyokokubu | 2013-04-12 03:00 | コンサート予習用