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おるがにすと・クロニクル Chronicle of an Organist

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4/15予習編その4

その1
その2
その3
にひきつづき、4月15日の演奏会の予習編第4弾です。

さて第4曲目は、パイプオルガンといえば、この曲!
「トッカータとフーガニ短調」。

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ソプラノでオルガンも弾いている日本人のお友達が、持ち前の演技力を発揮しつつ、出だしのメロディーに合わせて、

「ちゃらり〜。鼻から牛乳。」

とドラマティックに歌い、「日本の音大では、こう替え歌で歌うんだよ。」と教えてくれてから、この曲に対する懐疑心が深まった…かというとそんなことはなく、もともと、この曲には多いに怪しい思いを抱いていたのです。

この最初のページの「バッハらしくなさ」は一体何?!

それに、何回もハムスターが延々と輪っかを駆け上がていくようなコードの旋回する部分とか、まったくハーモニーが同じままで「水増し」的な部分とか、なんとなくいつもと違うじゃん?!

と、誰もが思っているのかどうかはわかりませんが、

音大では先生もこの曲を教えてくれません。

レッスンの機会がないわりには、結婚式ではやはり好まれるため、気がついたら弾けるようになっていたというような、レパートリーの中で不思議な位置を占めている作品だったのですが、CDの3枚目でトリオ・ソナタニ短調を録音するにあたり、録音するオルガンがイタリアにあることその他の要因を考え合わせて、有名なのにきちんと対峙してこなかったこの曲を、即興的&イタリア的にとらえ、カタいことは考えないで解釈してみよう!と思いました。

そのときに、冒頭のジョークを思いだして、このバッハの若い時代の作品が自由度の高い筆致になっているために、あらゆる解釈を受け止め、受け入れてしまう懐の深さがあるのだとわかりました。

その結果、「書いていないこと」をやっている演奏も実は多いのではないかという気がするのです。

それは、ブクステフーデなどのStylus Phantastics奏法にみられるような、

「ここは全部16部音符で書いてあります。でも、出だしは緩やかに、そしてだんだん音が低い方に落ちて行くのにつれてだんだん早く弾いてください」

という、即興的アゴーギグ(=強調するためにおおげさに表現すること)のような解釈上のルールを、

「ここはあきらかにStylus Phantasticsにあてはまらない」

と思われるところにもあてはめているため、構築をしっかりしなければいけないフーガ的部分や、協奏曲的にリズムが「ダンス」になっているところで、テンポが変化してしまう演奏のことです。

バッハは万人に受け入れられ、どんな解釈でも感動を呼ぶ、という、すさまじく「腐っても鯛」(ああ、この言い方は身にしみます。自分がヘタに弾いたときにすら、涙を流してくれた人がいた。バッハはなぜそんな作品を書くことができたのか)な作曲家ですが、そのせいで

「じゃあ、どうやって弾けというのか」論争

がここまでしつこく続いている作曲家も珍しいのではないか、と思います。

これは深入りすると机上の空論になってしまうぐらい難しい問題で、音楽理論家の先生たちのおっしゃっていることは全て正しいのに、弾いてみると不思議に一致しないことだらけなのです。

と、いうわけで、私はレッスンするときに

自分が気に入るように弾いて下さい」

とお勧めすることにしています。

が、本人の気に入る演奏、というのがまた遠大な理想郷のようなもので、

ほんとに一生楽しめます、バッハのオルガン演奏。

とまあ、話は逸れたような逸れていないような、私にとって、自分の気に入るバッハとは一体何か、と跳ね返って来るこの議題。

とにかく「ここはStylus Phantasticsだ」という部分は、きっちり別に取り出して、自由に、良いヴァイオリニストのようになめらかに演奏し、

「ここは構築用のパートで、フーガかフガートかコンチェルタントかダンス」という部分はそれぞれの『ノリ』で、レンガの家のように、積み上げていく。言ってみれば、Stylus Phantasticsじゃない部分は全部構築用。

最後の問題はその部分部分をくっつける、「のり」の部分。

と、いうわけで、このトッカータとフーガのような「ゆる+かち」の交錯する作品は、バッハらしくないとも言えますがカンタータなどでレシタテーヴォとアリアが交互に出て来るのにも似通っており、結局のところ、バッハの心が自在だっただけで、短い部分が自然に流れでつながるようにできているはずなのだ、と信じて、「書いてある通り」「目にこうだと読める通り」を信条に、自分なりの演奏をしてみたいと思います。

CDを録音したときは、ミラノの聖シンプリチャーノのオルガンの精度が高くて、オルガンが「こう鳴りたいんですよ」と導いてくれるのに従っていたら本当に何もしないで解釈にまとまったので、そういう演奏になっています。

おととい、宝塚ベガホールで演奏したとき、朝ホールで練習していたら休憩時間に来た娘が

「トッカータの解釈変わったね」

と言ったので、現在でも「書いてある通り」を弾いているのにもかかわらず、ほんっとに変幻自在な、不思議な曲よね、としみじみしているところです。

娘には「解釈変えたね」とは言われなかったので、その変化もまた自然であることを祈りつつ。

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本日のまとめ

武蔵野のコンサートの4曲目は、バッハのトッカータとフーガニ短調BWV565。バッハらしからぬ、流麗で自由気ままな作品。

本日の聴いとこう!

バッハ/トッカータとフーガニ短調BWV565

Stylus Phantasticsを理解してみたい方は

ディートリッヒ・ブクステフーデ/トッカータなど
このYoutubeのリンクその他で、聴いてみて下さい。





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by momoyokokubu | 2013-04-11 00:33 | 鍵盤楽器