きょうは、
その1にひきつづき、4月15日(月)の「ニ短調d-Mollをめぐるオルガン・デュオ・リサイタル」で演奏する第2曲目について書きます。
イタリア風パストラーレのあと2曲目は、
オルガンのための協奏曲ニ短調(ヴィヴァルディ作品バッハ編曲)BWV596
・アレグロ
・グラーヴェ
・フーガ
・ラルゴ・エ・スピッカート
・アレグロ
です。
バッハは中央ドイツのアイゼナッハという村の出身(1685年生まれ)ですが、アルンシュタットという街で働いたあとは
1。ワイマール
2。ケーテン
3。ライプチヒ
の3つの大きな都市で音楽の仕事を得、オルガンを弾いたり作曲をしたり生徒を教えたりして家族を養いました。
その最初の赴任地、ワイマール(1708−1717)は、「ザックス=ヴァイマール」という貴族が治めていたのですが、その公爵の弟ヨハン・エルンスト君が音楽に秀でており、バッハは、チャペル付きオルガニスト&お抱え作曲家&音楽師の仕事のほかに、彼に個人的にレッスンをしてあげていました。
当時のヨーロッパでは、1678年生まれで「赤毛の司祭」としても有名だった作曲家・ヴァイオリニスト、アントニオ・ヴィヴァルディの弦楽作品が大流行していました。ヴィヴァルディみたいなものを書きたい、と思ったヨハン・エルンスト君は、バッハに習いながら、ヴァイオリン・ソロと弦楽オーケストラの協奏曲を書きました。そしてさらに、その中からよくできたものを、オルガン用に編曲するようにバッハに頼んだ…のかどうかはわかりませんが、バッハは、ヨハン・エルンスト作と、ヴィヴァルディ作の、イタリア風の協奏曲をオルガン用にアレンジしたのです。
(画像は
このサイトからお借りしました)
当時は気軽なコピー機もないし、楽譜が必要なときは写本するしか手元に残す方法はなかったので、バッハは実に「まめ」に他人の作品を手で書き写しており、このワイマール時代の協奏曲書き写し編曲楽譜もチェンバロ用のものを含めるとかなりの数に上ります。
また、ヴァイマールには、いとこのヨハン・ゴッドフリード・ヴァルター(1684生まれ、ほぼバッハと同い年!)もオルガニストとして生活していたのですが、彼も協奏曲のオルガン用編曲が大好きで、何曲も編曲を書き残しました。ふたりで競争して書いていたのではないかと思うぐらいで、みなさんイタリアンスタイルに「はまって」しまったのに違いありません。
オルガン用の協奏曲は、オリジナルのオケ楽譜に近づけようと、「両手いっぱい、もうぎりぎり、これ以上手が届かないでしょう!」というところまで音符を書き込んである部分もあり、普通のオルガン曲より(オルガン的でない、という意味で)技術的に難度が高いことと、「ここは4フィートのストップで弾くこと」など、バッハにしては珍しくレジストレーションの表示を言葉で併記してあること(4フィートのストップを使うと、書いてあるより1オクターブ上の音が出ます)、譜面が最終的にウィルヘルム・フリーデマン・バッハ君(バッハの長男)の持ち物になっていたこと、そして最初に上げたように生徒のリクエストで書いたらしいことから、またしても第一のモチベーションは「レッスン用の教材」?!という気もします。しかし、レッスン用だからと言って手を抜くどころか、ばりばりの最高レベルで仕事をしてくれるバッハ大先生。
バッハの譜面を勉強していると、自分が生徒に教えるような年になっても
「気軽に弾こうなんて甘い。しっかり練習するように」
と叱咤されている気持ちになります。
どこまで良い先生なんでしょうね…。
と、いう感慨は弾いている人のもので、聴いている人は、オルガンらしくない、その弦楽協奏曲の楽しさに心が躍ること、間違いなしです!
本日のまとめ
武蔵野のコンサートの2曲目は、ヴィヴァルディ原曲の
ニ短調協奏曲、バッハによるオルガン編曲ヴァージョン、
BWV596。演奏会のテーマである、ニ短調は「教会っぽい調」でもあるのですが、まずは親しみやすい
イタリア風弦楽スタイルの作品を、5楽章構成で聴いていただきます。ニ短調の活気と「オラオラ的な押しの強さ」を楽しんでいただければ嬉しいです。
本日の聴いとこう!
ヴィヴァルディ/協奏曲二短調
(これが原曲の方。詳しい題名は"Estro Armonico" Op.3,No.11,RV656)
と、
バッハ/オルガン用協奏曲二短調BWV596
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