おるがにすと・クロニクル Chronicle of an Organist

momokokubu.exblog.jp
ブログトップ

復活祭 | Easter

035.gifIn English below035.gif

教会オルガニストの一番充実した季節、復活祭に向かう、受難節の最後の2週間を過ごしました。

「充実している」というのは、受難節に入ると、十字架に向かうキリストの、2000年前のことなのに相も変わらず辛く身につまされるような、とても意味深な聖書の話に合わせた歌や曲ばかり練習、演奏する6週間が続くので、その最後の2週間はもうじわじわと頭も体もまいってしまう中、「そういう中でしかたどりつけない心理」で演奏をすることができて、まことに得難い体験だからです。

ことしは鎮魂の気持ちの表現として、家族としては6週間「夕ご飯お肉抜き」をしました。
「どこが鎮魂なのか?!」は多分に感情的なのであまり追求しないようにしているのですが、要するに、殺生をしない、ベジタリアン生活です。娘が育ち盛りなので昼ごはんのお弁当には肉をつかったのでほんとうに「気分だけ」です。

お肉を食べずに、夜おなかをあんまり膨らませずに生活すると早起きになるのかもしれません。
何故か5時半とか6時15分とかに目が覚める毎日でした。
東京で7月にいただいたコンサートをする機会を受けるべきなのか迷い、迷いながら考えに考えるのに早起きは便利でした。周りに音がしないからです。そして行くことに決定しました。

日が昇れば、1日の間に何度も教会に行ったり、合唱の練習をしたり、オルガンの練習をしたり、「死と眠り」の調である「バッハとハ短調」の新しいCDのハコ作りをしたりしながら、1日2回ずつ日本のニュースを読みました。トゥイッターなどの仲間も増えたので、自分が読みたいようなニュースが簡単に上手く検索できるようになり、おどろいたり心が痛んだり、ずっと心が繋がり続けることができました。

周辺の姉妹教会の合同ミサの当番だった自分の教会では、聖週間のミサは、火曜日、水曜日、木曜日、金曜日、土曜日…と毎日特徴のある、典礼も音楽も充実したものが企画準備されていたため、ほとんど内容過密で、かかわる人々の人数も人種も文化も違う中「それぞれの与えられた範囲の中で自分を生かしながら」なんとか同じひとつのスタイルで一緒に行えたと思います。

当日の準備をして、本番(ミサの本番というのも変ですが)では予定外の状況も臨機応変で対応し、終了して、帰宅、反省、(ぐちも出ます)…を火曜から日曜まで毎日くりかえしやったので、まるで合宿のようだったというか、今こうして無事にイースターも終わり、コンピューターの前にすわって文章をゆっくり書いていると「老後」のような気分になります。

それで老後的発言なのですが…
オルガンを始めてもうすぐ30年。ことし初めて、「良い聖週間だった。」と、自分の仕事の部分を振り返って思えたということは、「石の上にも30年。」と、素直に「30年という時間」に感謝する気持ちです。

音楽や鍵盤楽器やバッハの作品と離ればなれになりたくないばっかりに、オルガンを弾きつづけてきました。キリスト教の信仰については、大好きな国立のぞみ教会(固有名詞を出してしまいました)で育ったことと、ローラ・インガルスの影響がいまだにあって、どうして信じるのか、それから「どうやって神を信じるのか」、信じない人と信じる人のチョイスがあるのなら、こういうとき自分は信じる人として「なんと思うのか」、考え方のベースになり続けて来ました。

そのふたつの体験が、自分の場合、聖週間で本番という感じで「試される」気がします。関わる者みんなにとって、肉体的にも大仕事なので、その中で必然的に人とぶつかるとき、「どうやって」うまくぶつかるのか。また、何があっても「最上のこころで」弾かなければならないということ。考えすぎたらできないことなので、「ああ。嫌な気持ちも弾いてるうちに忘れて来たな。」と思えるように、力を抜いて、からだをうごかしつづけました。

今年は、日本のニュース、地震のこと、原発のこと、いろんなことが同時進行して、「見えていなかったものを見せられた」ために、勉強が激しくなるとつい選んでしまう「音楽バカ」方面にこもりようもなく、わたしもわたしの周囲の人間もみなある種「おとなにならされる」聖週間でした。

「この辛さを忘れる」ということが不可能なたぐいの、巨大な命と愛の損失の前に、「忘れないでいる」以外に方法がないのだ、と受け止め、そこから再出発できる道を探す手伝いをしたい。
「音楽家」に固執せずに、「ただのにんげん」として、いろいろな縁のあることがらに積極的に関わって行きたい、と思う反面、

今年もイースターの日は来たのだ。
春も過ぎ、もうすぐ初夏なのだ。
バラのつぼみもあんなに枯れ枯れだった枝にびっしりついている。
生きていること、生かされていることは楽しく、楽なこと。
悲しみをかんじるとしても、それは生きているからなんだ。

と、胸いっぱいに深呼吸して、
かなしみも大事に持ったまま
あたまをからっぽにして
のっぱらにばたんと倒れて空を見ている時のような
ただのバカ人間なよろこびにひたりたい。

とも、思います。
あれ?これは詩編にでてくるひつじの気持ちですね。

こひつじたちはこの春もじゃんじゃん生まれ、ぴょんぴょん跳んで生きる喜びを謳歌していた。
そんな楽園にわたしも生きている。



にほんブログ村 クラシックブログ 鍵盤楽器へ
にほんブログ村

にほんブログ村 海外生活ブログ ベルギー情報へ
にほんブログ村

にほんブログ村 音楽ブログ 音楽活動へ
にほんブログ村



035.gif

Having spent the last two weeks before Easter in the church where we had many masses, I am glad to say that for the first time I fell filled with a kind of gratitude and satisfaction about my part took among the partners in the church.

Because of the entreme gravity of the texts of the Passion, even after two thousand years, we are lead to a special state of mind at the end of the six weeks of passion tide. We have been singing chants and hymns, and playing works tightly related to the subject.

The Holy Week with the masses every day, finally reaching the night of Easter was a kind of untieing a huge knot. Playing the organ day by day in the whole process was a unique experience.

We ate no meat during the six weeks to remember the loss, without knowing nither looking for what exactly it meant. Simply, that made me wake up at 5:30 or 6:15, the hour normally I am never awake! A stomach not too full the evening makes this effect?

I was given those serene early mornings to consider the decisions that I had a difficulty to make. No noise, the white silence of the morning, gradually wakening with the bird songs (even in the city!) helped me a lot to go to the conclusion. I am going to Japan this summer!

The post-Easter days make me feel a little "senior", sitting in front of the computer.
I am not yet 65 years old but then how come I am looking back my past...?

The days that I loved going to our Kunitachi Nozomi church in my childhood, and the Laura Ingalls books that I was impressed by, both made the bases of my faith.

And the organ playing I hanged on, so that I am not separated from Bach and other music.

The Holy Week was a kind of a "test" where I had to put all my resources from those two ploles of my life into it.

We got some crashes and disputes as usual, as there are so much details to sort out. Even after hours of discussion, there are non-spoken bits that come out last minute, often during the mass itself.

For the first time, I repeat, this year, I can say (as long as my point of view) that we did all what we could in our church.

Maybe because it has been almost thirty years since I am organist that I got used to it.
Maybe the situation of this year made me become different.

After the conflict in the church before playing, I would anyway have to be in the best state of myself.

Just be freed.

During playing, and thanks to the act of playing itself, my body was "defrosted" of whatever made it tense in the beginning.

I hope to become more than just a good musician, now a days.
Problem is, I don't know how to.
Now I could give more hands to the proposed projects which are not necessary musical?
Why not, the time to think music-egoist is gone.
There are more than music, there are other things than what I must do inside the little box concerning only music notes.

Besides.
The Easter came and we go towards the summer.
The envy is also to go and lay down in the grass, looking up just the sky and feel happy.
Keeping sadness in mind but lay there, all simply.

Given life here is meant to be free and easy, isn't it basicly true?

Like the sheep in the Psaumes.
The lambs were born again in the fields.
They were jumping around, simply happy to live.

And I realise that I live in the same paradise.



035.gif
[PR]
by momoyokokubu | 2011-04-28 20:35 | 鍵盤楽器