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おるがにすと・クロニクル Chronicle of an Organist
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緑、その後。
季節は初夏となりましたが、相変わらず一週間に雨6日+晴れ1日という悲惨なブリュッセル。
昨夜は雷がとどろいていたにもかかわらず、暑くなるわけでもなく、手袋にマフラーなしでは自転車にも乗れない気温。

しかし庭はそれにもめげずすくすくと育っているようであります!エラい。


さくらんぼの花
のその後の観察日記




カシスの花は咲いているという事にも気がつかないぐらいのささやかさ。葉の陰にはちいさな果物も実りつつあります。



この前の写真と同じ壁のつるバラも、つぼみがつきはじめ、枯れたかな〜と思っていたクレマティスから伸び出た茎は、しなやかにからまりつつ空に向かっている。



珍しくて初めて植えてみたアンコリーの花。グリーン・アップルという種類で、花弁も真ん中も緑色。これも近寄ってよく見ないと、周りのグリーンに溶け込んで「お花が咲いた!」というようには見えません。でも見れば見る程不思議な花なので、これからもっと開いていくのが楽しみです。



ピンク色だったさくらんぼの花は、はなびらを落とし、細い茎を冷たい風に揺らせながら実をつけようとじっと耐えているように見えます。




それにしても!実になりつつある部分の茎はなぜ短いのか?花が咲いたところの茎はもっと細くて長いのに…??

庭にいると「自然の不思議に驚嘆する」と言えば美しいのですが、わたしの場合「どうしてなんだ?」「これは何?」「これはいつ咲くの?どうしてまだ咲かないのよっっ!」と、ギモンはあとをたたず、思わず天に向かって声に出し、むなしく質問を投げかける毎日。

そんな先週のある日、夫と仕事の打ち合わせで来ていたらしいバリトンの人が帰り際に庭を見に来た。
「神父になる勉強をしていますが、副業として住んでいる地区の公園などの庭師もやってるんです」
と言うではありませんか!


わたしは止めようもなく、思い切り質問爆弾を炸裂。

訊きたい事が多すぎてアセアセしつつ、名前など言わずに葉っぱを指差しながら

「こっちの子はこんななんですけど…」
と言えば、
「ああ、これね。カシスはxx使うとこのちりちりになったとこが良くなるけどでもまあたいした問題ではないから心配することないよ…んでこっちは秋のフランボワーズ、この庭は日当りがあれだからあーたらこーたら…」

まるで自分の庭のようにそこにある植物をちゃんと言い当てながらどんどん話が進むので、聞いていた夫はなにやら意味がわからずも面白がって大受け。

天から答えが降って来た日でした。











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# by momoyokokubu | 2012-05-16 18:37 | 園芸 | Trackback | Comments(0)
子守唄
ヴァイオリンケースのふたを開ける音
それから弓を取り出す音がすると
猫は「部屋から外に出たい」と「言う」。

BVW1002のアルマンドが悪いのではない。

ヴァイオリンの練習がはじまれば
猫用の耳には高音過ぎるヘルツが鳴り出すことは必至だから
わたしは立ってドアを開けてあげる。
猫は部屋の外で聴けばいい。

楽器は鳴り、歌い、繰り返し、
温かくなって楽器ケースに少しの間休ませられる。

弦に飽きた指が鍵盤に休憩しに来る前にわたしは立ち上がり、ピアノに座る。
オルガンのためには書かれていないBVW1002の音のアタマから、
あこがれと嫉妬の気持ちを押さえられずにピアノで探し当てて行く。

気がつけば左手は通奏低音をつけはじめ
みつけられなかった和音は戻ってひろいなおす。

砂のようにこぼれていく時間にしるしをつけていくような
バッハの音符ひとつひとつを
ビーズつなぎみたいに注意深くたどっていき、
最後のカデンツが空気をふるわせたら
あとは指を鍵盤から上げなければいけない。

なんて惜しい。

次のページも触っていいかな。
ヴァイオリンの気持ちを傷つけないように
ピアノは遠慮しながら先を読みすすんで行く。

ぱらぱらめくって探してみると
BVW1005はそこに泰然と構えていた。
はちょうちょう。
と、ひらがなで書きたくなる調。

ピアノがだんだん羽ばたいて行くような
スラーの音型をアダージョでなぞっていった時
わたしはじぶんの肉体が色薄くなってきた気がした。

そのとき目の前にア・ラ・ブレーヴェのフーガが横たわっていた。
それは予兆のような、ひとつ向こうの世界のような、あるいは「知らせがある」というような
風采でそこにいた。


「ママが死んだらこれお葬式で弾いてもらえるかな。
あの、うん、全部、このBVW1005。
フーガは、もちろんさあ、『正しいテンポで』。
あ、でも、自分のお母さんのお葬式ではやっぱり弾けないよねえ、
…誰かほかのひとに弾いてもらおうね。」


あいかわらずの妄想母が深く考えもせず口走ると
娘はひとこと
「いいよきっと弾いてあげるよ。」
何故か殊勝な感じの小さい声で答えた。

冗談だけどね、ホラ、バッハがあんまりこうだから、へへへ…

わたしは立ち上がってソファに移った。

やっと空いたので娘はピアノに近寄ると
昔習ったインヴェンションを弾いた。

聴いていたらもっと弾きたくなって椅子を奪い返し
ゴールドべルグ変奏曲の主題を弾く。
ヴァイオリンみたいに弾いてみた。

ひとしきり
アポッジャトゥーラやダブルモルデントのしるしを
「どうやって弾くのお」
と知りたがる娘に説明し
二人でフレーズごと互い違いに弾きっこしたあとで

娘は立ち上がると
BVW1005をヴァイオリンの譜面台に乗せた。

はちょうちょう。

はちょうちょうだから、初見できるよ。という顔をして楽器を構えた。

そうしてむずかしいダブルストップのたびに
400メートル障害を練習するアスリートみたいに集中して
注意深く指を弦にならべ
弓をひとつひとつまっすぐ当て
転調しながら
主題が裏返しになるところまでゆるやかに読み進んで行った。


体の中身が部屋から抜け出して宙に浮かんで行くみたいな夜。


ゴールドベルグとは誰か、訊かれたので、その話を少しした。

そうだねつまり夜の音楽なんだ。
さいごにアリアが戻って来たときは、子守唄みたいにひっそり弾くのかな。

眠れたかねえ!その人。
そのひとがやっと寝たら、ゴールドベルグさんほっとしただろうね。

そういえば、ゴールドベルグ君ってあんたぐらいの年齢だったんだよねそのとき。



「少し死んだ」ような、さみしい気分になった夜だった。



でも


狂おしいぐらい祝福された気持ちでもあった、かもしれない。















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# by momoyokokubu | 2012-05-05 08:17 | 鍵盤楽器 | Trackback | Comments(0)
さくらんぼの花
庭にソメイヨシノがあってその下でお花見とか、

オオシマザクラを植えて桜餅用の葉っぱの塩漬けを手作りとか、


いろいろ夢はあったけれどやはり自分のうちの庭の大きさでは15メートル近くなるような木を植えられるわけが無いので

最大1メートル半、と言われる、サクランボジャムやお酒用のグリオット種を植えたら…

既に2メートルになりました

昨年は葉っぱしか出なかったけれど、ついに今年は開花!!



嬉しい嬉しい嬉しい

(なんでこんなに嬉しいのかなあ)

レッスンもないし(学校の春休み)、演奏会も全て終わったし、桜でも愛でよう〜と思ったのに3分で体がすっかり冷えきってしまった、「一糸も肌身離すな、の4月」です〜

気を取り直して、復活祭に弾くトゥーネミールのVictimae Paschaliをさらってから「最後の晩餐」聖木曜日の奏楽をしに行ってきます。。。



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# by momoyokokubu | 2012-04-05 22:39 | 園芸 | Trackback | Comments(0)
受難の作品
受難節が近づいてくると、演奏会が増えます。

「キリストの受難」のテーマで、カンタータやオラトリオ系の、合唱とオルガンという作品が数多く書かれているからです。過去形ではなく、あえて現在形で書いたのは、今年もそのテーマで新しい作品がたくさん生まれたから。新しい作品に加え、バロック時代からあまりに多くの素晴らしい作品が存在するため、演奏会をする口実には事欠かないし、毎年バッハの受難曲のうち、ヨハネかマタイのどちらかを聴かなければ春を迎えることはできない、という方も多いようです。

何故にこのような演奏会ラッシュがおこり、演奏家たちは飛び回っているのか。

それはやはり「教会」に需要があってたくさん書かせたものが毎年のように各地で増え、さらに古典となった作品もぜひまた演らなければ…的な、「今でないとダメなんです!」という、受難節特有の文化現象なのだと思います。

あえて「文化」現象と書きたくなるのは、たとえば私や家族がクリスチャンだから、受難節を「個人的」に大事に考えているという事とは別に、「普段は教会なんか行かない」という人たちも、そうした受難の主題の演奏会には大勢来るからです。そして信仰の心は持ち合わせていないけれど、音楽作品が素晴らしいから演奏したい、と引き受ける演奏家のみんな。

そのように、「音楽作品が素晴らしい」とみんなに伝わっているということは、作曲家たちは伝道をしているということになります。作曲するひとたちは聖書を理解していなければ作品を書くことができない。そして信仰の心がない作曲家は受難の作品を書くことはありません。

オランダ語の「俺、シモン。」という、キリストの弟子のひとり、シモンの目から見た受難の文章を、私の弾いている教会の教会員で、学校の先生をしている若いR君が書き上げ、そのあと彼が趣味で歌っている合唱団の指揮者でこちらも若き作曲家のペーター・スパーペン君がミニオラトリオに仕上げた作品を、わたしもオルガン奏者として今年は一緒に準備して3回公演します(今2回終わった所)。合唱で歌っている人たちも若く、ぜんぜん教会には行ってない。だけど一緒に新しい、「厳しい物語」を立ち上げるいばらの道を歩むことができました(細かい説明は抜きにしますが、まさしく「いばらの道」だったのです)。

受難の物語って、これ以上ひどい話はない、という話なんですよね(わかっちゃいるけど)。

それを、「これ以上大きい愛の物語はない」と言って表現するのですから悲劇なんだかハッピーエンドなんだかわからない。というところがあります。何しろ、復活劇、ではなく、受難劇、であるところがミソなのです。バッハの「マタイ受難曲」の最後が「あの」曲ではなくて、「キリストはよみがえりたもう!」の賛美歌だったりしたら、ここまで演奏会をやるかな?と思います。

イエスの十字架の物語は「まさか、そんなことになるなんて……とりかえしのつかないことをしてしまった」と、その場にいた人がみんな真っ青になった、その感情を忘れないことが主眼に置かれているように思われてなりません。

そのあとで、復活するイエスを順番にみんな目の当たりにするのですから、なんというどんでん返し。なんか怖い様な物語なのであります。

でも、復活してみんながびっくりしているのを見て、「最初から、復活する、って言っといたじゃん…」と、イエス様がなじるんだよね…などと思い出すと、毎年、受難の曲を演奏するたび、この2000年前とは思えないエピソードにばかみたいに感心してしまう私。

受難の作品を練習しながらも、同時にリハーサルが始まってもうすぐ演奏会が始まるのが、バッハの「モテット全6曲演奏会」。曲の最後に、アーメン、とか、ハレルヤ、という歌詞がついているのがありますが、歌ってる人たちは別にクリスチャンじゃない人も多い。まあ、書いてある歌詞がそうだから、「神を賛美します!」って言ってます、という感じでしょうか。ただ、曲の初めから終わりまで、その複雑なポリフォニーをひとつひとつ「落とさないように」、ずれないように、全員で紡いで行く作業がわたしたちの耳と心を研ぎすまし、ほとんど5感を統合せざるを得ない、さらにそれを超えた所に行かざるを得ないぐらいの集中と緊張を強いるので、最後にポリフォニーが止み、同時に「アーメン」や「ハレルヤ」の文節を完全にクリアな形で同時に発声するとき、

「癒された」

という思いにその場が満たされてしまうのです。

何かの前で、

「ああ。」

とみんな一緒に言葉も無くたちすくんでしまう、あの感じ。

そんなとき、宗教というのは、枠でしかないのかな、と思います。
枠でしかないとしても、この感じを表現するために、ここまでの枠組みを使っているんだ、という。
おおがかりな、宗教というもの。

しかし、さっき受難作品の作曲家はキリスト教伝道をしている、と書いたけれど、「伝道のため」に書いている訳ではないと思う。創作のエネルギーは、枠にあてはめるようには発揮されるものではない、とも思う。

音楽では、音程とリズムという言語で書き表された「誰かが確かにこう生きたのだという証」を、「キリストの受難」の物語に乗せてある。だから、わたしたちも(追)体験できる。


キリストの受難だけれど、みんなの受難であり、わたしたちはいつかみんなと「声を合わせたい」と思っているのだ、…という事を思い出させてくれる季節です。普段はつい、忘れて暮らしている事なのですが。





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# by momoyokokubu | 2012-03-27 21:29 | 鍵盤楽器 | Trackback | Comments(0)
コーヒー
わたしはコーヒーが好きです。

イギリスに住んでいたときは一日2リットルぐらい紅茶を飲んでいましたが(みんな飲んでるからというだけの理由で)、チョコとコーヒーのおいしいベルギーに来てからすこしずつコーヒーも隠れて飲むようになり(なんとなく健康に良くないイメージがあったから)、17年目の今では正々堂々と(なんだそれ)飲むようになりました。

しかし午後5時以降にコーヒーを飲むと夜中まで寝付けないことにも気がつき(紅茶だと平気なんですけどね〜どう違うんだカフェインとテイン。)、朝ご飯と昼ご飯の合間、午後4時半までの休憩のとき一日2回ぐらい飲みます。



ベルギーのカフェに行くと、コーヒーにはクッキーかチョコが付いて来ます。
これはパリに行くと付いて来ないのですごくつまらない(食べるというほどでもない小さいおまけですが)。
ミラノに行ったらリストレットというエスプレッソの濃いものに、クッキーではなくて水が付いて来てびっくりした。
(苦いから?)
イタリアはどこもそうなのでしょうか。

そういえば、イギリスの丸いクッキーの広告で、「これなしじゃあ紅茶は水っぽすぎるよね!」
という謎のキャッチフレーズがあったけど。

熱い飲み物+クッキー
熱い飲み物+水

どっちが胃にはいいのかねえ。

いや、コーヒーのカフェインは、摂りすぎると体がミネラルを吸収するのを妨げるので良くないけれど、少量ならいろいろな働きをするものです。

と、歴史の本に書いてある

けれど、なぜコーヒーが好きか?

ときかれれば、それはもう

臭いと味が良いから

です。

香り、って書くべきでしたね

でもあの、缶に入った状態のコーヒーの粉を、カバンに入れておいて、いつでも開けてかげるようにしたいぐらい、いいにおい。(やってません)

そして夏になれば、アイスクリームは20ぐらいある味の中から選ぶのはどうしてもコーヒー味。

家で飲む時、5秒で入れられるマジミックスのネスプレッソマシンは本当に美味しいコーヒーが入りますが、あの、超近未来的な「カプセル」の、無駄に美しくまったくにおいがしない事と言ったら、どうしてもなじむ事ができない。

かっこよけりゃいいってもんじゃない。
便利ならいいってもんじゃない。
アロマが完璧に守られればいいってもんじゃない。



って、これ全部ほめことばなんですけど。いまいち納得できない。結構高いし。

と、いうことで、実は、ほぼ日新聞の連載に載っている、カッパとウサギのコーヒー探し、隠れファンです。隠れてないんですけどね別に…このカッパさんの絵は独特で素敵だし…。

この夏、仙台に行く機会が与えられたので、気仙沼にも行って、このコーヒーを買いたくなります。そして、ドリップしてコーヒーを淹れる…飲む以前の楽しみもいっぱいな、コーヒー



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# by momoyokokubu | 2012-03-22 17:06 | おいしいもの | Trackback | Comments(0)

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